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<<   作成日時 : 2008/03/09 16:00   >>

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海野氏所縁の寺院を訪ねる

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■海野幸長(通広)
海野幸親の子。
大夫房覚明として有名。木曾義仲の祐筆として、『平家物語』に多く登場。
平清盛を「平氏の糟糠、武家の塵芥」と書き、清盛に追われた際、漆を顔に塗り逃れる等、戦乱の世を生き抜いてきた怪僧。
倶利伽羅峠の戦いに望む際、義仲が護国八幡宮で書かせた『木曾願書』が今も八幡宮宝物殿に保管されている。
海野幸長→蔵人通広→最乗坊得業信救→太夫坊覚明→最乗坊信救→円通院浄寛→西仏坊と、名を7回変えて、生き延びてきた。
『平家物語』の作者は、一般的に"信濃前司行長が、生仏に語らせて書いた"とされるが、
【信濃の】=【信濃出身】、【行長】=【幸長】、【生仏】=【西仏】
これら名前の一致と足取りから、大夫房覚明こそ『平家物語』の作者では?とも言われている。

■海野幸氏
海野幸親の孫(父・幸広)。覚明・幸長の甥。
木曾義仲と源頼朝の関係が悪化した際、義仲は嫡男・義高を人質として鎌倉・頼朝の元へ差し出す。
その時、義高付き人として鎌倉へ同行したのが海野幸氏。
義高は、頼朝の娘・大姫の婿として迎え入れられたが、義経率いる関東勢に義仲が討たれた際、あだ討ちを恐れた頼朝は、11歳だった義高の暗殺を目論んだ。
頼朝の計画を知った北条政子・大姫と幸氏は、義高の脱出計画を実施。義高に女装させ逃亡を助け、幸氏は義高の身代わりに義高の寝床に入ったという。幸氏も時11歳。
以後、義高が見つかり討たれ、幸氏も捕まったが、その忠節と武勇を称え、頼朝の御家人として仕えた。
幸氏は、弓馬の道に通じており、流鏑馬の儀式等で活躍。『弓馬四天王』として名前を馳せたとして『吾妻鏡』にも謳われている。


そんな彼等歴史の人物ゆかりの寺院を巡ってみました。

アルバム↓  よろしかったら↓  どうぞ↓
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